陰士はしばらく椽側に立ったまま室内の動静をうかがっていたが、主人夫婦の熟睡しているのを見済してまた片足を畳の上に入れる。 嫌でないのは奥さんだけですかと多々良君柄に似合わぬ冗談を云う。 　迷亭はそんな事には頓着なく奥さん、昨日はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよと妙な事を云う。 五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた 入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れた孔の向側にあらわれる。 わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺の寂寞と云い、全体の感じが悉く悲壮である。 送籍は吾々仲間のうちでも取除けですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。 彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左右を一時に見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入らんのは気の毒な次第である。 主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺めているので、迷亭は横合から何だい新体詩かねと云いながら覗き込んでやあ、捧げたね。 そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。 せんだってじゅうは単衣では寒いくらいでございましたのに、一昨日から急に暑くなりましてね蟹なら横に這うところだが今年の気候はあとびさりをするんですよ。 どうしたら好かろうと考えて好い智慧が出ない時は、そんな事は起る気遣はないと決めるのが一番安心を得る近道である。 寿司は持って来んが、山の芋は上げたろう。 賛成と云ったのは無論迷亭である。