枯れた樹の梢に三日月

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この年月の経験で、鐘の声が最もわたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上げる途端、コーンとはっきり最初の一撞きが耳元にきこえてくる時である。驚いて箸を持ったまま、思わず音のする彼方を見返ると、底びかりのする神秘な夜の空に、宵の明星のかげが、たった一ツさびし気に浮いているのが見える。枯れた樹の梢に三日月のかかっているのを見ることもある。  やがて日の長くなることが、やや際立って知られる暮れがた。昼は既に尽きながら、まだ夜にはなりきらない頃、読むことにも書くことにも倦み果てて、これから燈火のつく夜になっても、何をしようという目当も楽しみもないというような時、ふと耳にする鐘の音は、机に頬杖をつく肱のしびれにさえ心付かぬほど、埒もないむかしの思出に人をいざなうことがある。死んだ友達の遺著など、あわてて取出し、夜のふけわたるまで読み耽けるのも、こんな時である。  若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨の雫が葉末から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵ごとにその力を増すような西風に、とぎれて聞える鐘の声は屈原が『楚辞』にもたとえたい。(永井荷風 鐘の声)


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